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ラジオ福島

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番組ブログ

番組名:つながroom Five

2024.06.29(土)2024年5月25日放送「ボクシング日本一の中学生!会津若松市 郡司皇牙さん」

ウェルネス会津ボクシングセンター所属・中学2年生 郡司皇牙(ぐんじおうが)さんのインタビューをお届けしました。

佐藤)“皇牙”さん、名前からして強そうです!
 ボクシングの大会で日本一に輝いたそうですね。いつの大会で日本一になったのですか?

皇牙選手)去年8月の大会です。

佐藤)日本一になった時の気持ちを今も覚えていますか?

皇牙選手)とても嬉しかったです!

佐藤)ボクシングはいつから始めたのでしょうか。

皇牙選手)小学校4年生から始めました。メンタルが弱くすぐ泣いていたので、強くなりたくて始めました。試合を積み重ねていくうちに、メンタルが強くなってきたように感じます。

佐藤)ボクシングは当たると痛い時もあると思いますが、始めた当初そういったことに抵抗は無かったのでしょうか。

皇牙選手)最初は痛くて泣いていたのですが、大会があるから出てみたら?と言われて、実際に出てみたらハマり、ボクシングの面白さに気付きました。
小学5年生の時に初めてボクシングの大会に出場して、結果は負けてしまいましたが、周りが皆強いので、自分も負けないように頑張ろうという気持ちになりました。

佐藤)“メンタルを強くしたい”という思いからボクシングを始めて、なぜ日本一を目指すようにまでなったのでしょうか。

皇牙選手)大会がとても楽しくなり、勝利を重ねていくうちに、もう少しで全国だという時に一生懸命練習して、日本一になることができました。

佐藤)日本一までの道のり、長かったのではないでしょうか。

皇牙選手)長かったです。県代表になるまでが大変でした。というのも、同じジムに全国レベルの選手がいて、その子と階級が被ってしまい、つぶし合いになってしまって。振り返ると、そこが一番苦しかったです。

佐藤)それは大変でしたね。ただ、同じジムに高め合えるライバルがいることはとても良い環境ですね。日本一になるまでの道のりを教えてください。

皇牙選手)県代表になり、東北大会、東日本大会で優勝し、全国大会という流れでした。
全国大会では徳島の選手と戦ったのですが、会場が大阪だった為、相手の応援が多かったので、とても焦りました。ただ、福島から来てくださった方の応援が力になり、日本一になることができました!!

佐藤)これからの目標を聞かせて下さい!

皇牙選手)これから全日本王座決定戦の県大会を控えているので、勝ち進んで、全国の舞台で戦いまた日本一になりたいです!!

佐藤)応援しております。郡司選手が目標としている人は?

皇牙選手)今のジム(ウェルネス会津ボクシングセンター)の遠藤広大ヘッドコーチを目標にしています。みんなに優しく丁寧に教えてくれるからです。

会津から日本一に輝いた皇牙選手。近い将来、井上尚弥選手のように世界を股に掛ける選手になるかもしれません!今後の活躍に注目です☆彡

リクエスト曲  ado / 私は最強

2024.04.29(月)2024年4月27日(土)放送 東京から南相馬へ移住 農家•渡邊健太郎さん

東京から南相馬へ移住された農家 Clean &Bee 渡邊健太郎さんにお話を伺いました。

Q東京から南相馬に移住された理由は?

渡邊さん)
東京都八王子から移住してきました。40歳になり、自分で何かやりたいと思い、最初は養鶏をするために南相馬に来ました。最初は八王子に住みながら南相馬に通い、土地を探して移住しましたが、養鶏が出来なくなる事態が発生し、その後市の方に相談し、今の会社Clean &Beeで農業をする事になりました。

Q具体的にどんなお仕事をされているんですか?

渡邊さん)
主にサツマイモと養蜂をしています。

Q農業をされて今年で何年目になるのでしょうか。

渡邊さん)
2年目です。1年目はなんとか収穫できましたが、問題点も多くありました。震災後そのままになっていた荒れ果てた農地を耕すところから始まった為、雑草などの整備からやらなくてはいけなかったので大変でした。

Q実際に農業をされて、ご自身のイメージとのギャップはありましたか。

渡邊さん)
ありましたね。人から聞くのと自分で実際にやってみるのは、全然違います。

Q農業について周りからアドバイスをいただくことは?

渡邊さん)
はい、元々農業をやっていた方やお世話になっている農機具屋さんから色々アドバイスをいただいています。

Q実際にトラクターを動かすのも南相馬にいらしてからですよね。大変だったと思います。

渡邊さん)
はい、初めてです。この歳で色んな経験をさせてもらっています。

Qご家族は、新天地で渡邊が奮闘する姿をどう捉えているのでしょうか。

渡邊さん)
最初は、家族も何を考えているんだろうと疑問だらけだったと思います。家族を巻き込んで今仕事をしているので、かなりのプレッシャーの中で動いています。

次回も渡邉さんに伺います。お楽しみに⭐︎


♪渡邉さんのリクエスト曲
旅姿六人衆 / サザンオールスターズ

2024.04.17(水)2024.4.13放送 鮫川村の若手酪農家 清水大翼さん

鮫川村の若手酪農家で、ファームつばさ代表 清水大翼さんをゲストにお迎えしました!

Q酪農を始めて何年になりますか。

清水さん)
10年位になります。いつか地元鮫川村で仕事をしたいと考えていました。大学で酪農を学んだ時に、実習で酪農の魅力に魅せられたのがきっかけでした。
私の父が移住者で、山村留学のお仕事をしていた。その為、家には犬や猫などの動物が沢山いました。高校の時にはジャージー牛を飼い、ペットのように普通にお世話をしていました。
こんな風に動物と触れる機会が多かった為、自然と好きになり、動物について学べる大学へ進学しました。

Q幼い時から様々な動物に触れる事ができて、貴重な体験でしたね。
結果、酪農の道に進まれましたが、決め手となった出来事は?

清水さん)
大学で牧場実習があり、北海道の叔父の牧場へ頼みました。
最初は重労働で大変な事ばかりでしたが、肉体労働後のご飯が凄く美味しかったり、作業を終えた後の夜に飲むビールが美味しかったり、段々楽しみが分かってきて。辛く感じた実習も、若かったせいか一週間位で慣れました。
実習が終わる頃には、鮫川村に帰って酪農をしようという気持ちになっていました。

Q最近では、ご自分の会社「ファームつばさ」を立ち上げられました。いつ立ち上げられたのでしょうか?

清水さん)
立ち上げたのは2023年3月末で、主に乳製品の販売や地域振興事業をしています。
酪農については、個人で運営しています。

Q個人でされている酪農では、現在牛を何頭飼っているんでしょうか?

清水さん)
40頭くらいいて、お母さん牛が26頭います。ジャージー牛で、ジャージーのミルクは濃厚と言われていますが、私の牧場では、牛たちに沢山草を食べてもらっているので、「濃厚だけどさっぱり」な仕上りになります。喉越しがよく、サッパリとした牛乳です!!

Qまさに、「ちょうど良い牛乳」という感じでしょうか?

清水さん)あ、はい、じゃあそれで(笑)

次回も清水さんに伺います。お楽しみに⭐︎

♪清水さんのリクエスト曲
できっこないをやらなくちゃ / サンボマスター

2023.06.17(土)2023年6月17日放送「つながroomFive」いわき市・おにぎり専門店“ばはり” 小熊淳太郎さん

今回は、いわき市に今年オープンした おにぎり“はばり”の 小熊淳太郎(おぐま じゅんたろう)さんにご登場いただきました。

Q「ばはり」という名前は、どんな意味なのでしょうか。

小熊さん)スワヒリ語で“海”という意味があります。

Qなぜスワヒリ語の名前にしたのでしょうか。

小熊さん)僕ら二人でおにぎり屋をやっていまして、アフリカのタンザニアでお店を開きたいと思っているため、タンザニアで使われているスワヒリ語の名前にしました。

Qアフリカでお店を開きたい!?…伺いたいところですが、アフリカについてのお話は次週たっぷりとお聞きします。
今おにぎり専門店ブームですが、小熊さんもどこかで修業されていたでしょうか。

小熊さん)東京都大塚に「おにぎり ぼんご」という店で3年位勉強させていただいて、今年の3月にいわきにお店をオープンいたしました。

Qということは、オープンしてまだ3カ月程度なのですね!お客様の様子はいかがですか??

小熊さん)結構常連さんに来ていただくことが多く、2、3回どころか10回位来ていただいているお客様もいます。

Qどういった特徴のあるおにぎり専門店なのでしょうか。

小熊さん)目の前で握ったおにぎりを提供するので、温かい出来立てをお召し上がりいただけます。

Q人気のメニューを教えたください。

小熊さん)卵黄醤油漬けにそぼろを組み合わせたものとか、変わり種で“クリームチーズ”という明太マヨネーズにクリームチーズを合わせたものも人気です。
あと、いわきの「長久保のしそ巻き本舗」の“末広漬”を使ったおにぎりもあり、末広漬とクリームチーズを合わせることで“いぶりがっこ”のようなシャキシャキして濃厚な味わいのおにぎりも人気があります!

Q全部で何種類あるのですか?

小熊さん)全部で25種類あって、組み合わせを考えると25×25なので…とにかく沢山あります!!(笑)

Q梅雨に入り、ムシムシ、ジメっとしていて、何だか食欲も落ちてしまいがちです。そんな時期に、小熊さんがおススメするおにぎりの具をぜひ教えていただけますか?

小熊さん)卵黄に赤そぼろをトッピングしたものがおススメです!この“赤そぼろ”は、ニンニク、豆板醤、コチュジャンを使ったピリ辛なそぼろになります。
合いびき肉に豆板醤、コチュジャン、ごま油等々の調味料を入れて、炒めるだけで作れます。
卵黄は、卵のままで2日間位冷凍するとカチカチになるので、そのまま取り出すと、黄身だけ固り、白身はトロっと溶け出してくるので、黄身だけ取り出して醤油に一晩漬けると“卵黄醤油漬け”の出来上がりです☆

Q想像するだけでお腹が減ってきます。間違いなく美味しいですね!
それから、おにぎり屋さんのおにぎりって、ノリがパリッとしていてご飯がふっくらで絶品なのですが、家庭で作ると、どうしても海苔やご飯がベチャっとなってしまい上手に作ることが出来ません。家庭でも美味しくおにぎりを作るコツをぜひ教えていただけますか。

小熊さん)僕たちはおにぎりを握る回数を“3回以内”と決めています。3回以内で握ることで、米と米の間に空気が通り、フワっとしたおにぎりに仕上がるので、それを上手く海苔で巻くと上手く出来ると思います。
握るというよりは“手は添えるだけ”という感じです。

プロの方に美味しいおにぎりの作り方を教えていただきました♪早速作ってみます。ありがとうございました!!

おにぎり「ばはり」
◯営業:平日11:00〜15:00
◯住所:いわき市平南町55-4ホンテーヌビル2F
※出張で不在の場合もありますので、お問い合わせてからご来店ください。

2023.06.17(土)2023年2月25日放送「つながroomFive」プロサッカー選手として活躍 福島市出身・遊佐克己さん 

海外や日本のプロサッカーリーグで長年プレーされた 福島市出身・遊佐克己(ゆさかつみ)さんにご登場いただきました。

遊佐さんは、福島市笹谷スポーツ少年団でサッカーを始めて、ジェイム福島FCでプレーし、中学卒業後はサンフレッチェ広島のユースに加入。その後、J1サンフレッチェ広島トップチームに昇格、Jチームでプレー後は、海外パラグアイを経てインドリーグでプロとしてサッカーを続けてこられました。2021年には、J3福島ユナイテッドFCに完全移籍し、2年間プレーされました。

Qトレードマークの金髪はお変わりないですね。ずっと金髪スタイルを貫いていらっしゃりますが、変えない理由はあるのでしょうか。

遊佐さん)金髪は変えずに、進んでいこうと思っています。理由は“自分を律することができる”ためです。

Qいつから金髪にされているのですか?

遊佐さん)インドに行った二年目ぐらいから。

Q遊佐さんは、地元のプロサッカーチーム・福島ユナイテッドFCで2年間プレーされました。当時、どんな思いでプレーされていましたか?

遊佐さん)日々自分は何ができるんだろう、それがどんな風にチームのためになるのだろうか、ということを考えながらプレーさせていただいていました。

Qユナイテッドで一番声を出して練習に取り組まれていたのが、遊佐さんでした。遊佐さんの中で大切にしていたことは、どんなことでしょうか??

遊佐さん)大事にしていたというよりは、“試合に出たい”それにつきます。そのためにやれることは全てやっていました。

Qコロナ禍がきっかけとなり、インドから日本に帰国しJリーガーとして新たな舞台での挑戦でした。そこでは、どんな事を学びましたか。

遊佐さん)毎日が学びでしたね。サッカーもそうですし、組織、戦術、そして、日常生活の中でも色々な意味で。長くインドという自由な場所で生活していたので、しっかり規律がある日本での生活は、全てが学びでした。

Q日本とインドの違いって、どんなところでしょうか。

遊佐さん)全て時間をしっかり守る日本。時間にはルーズなインド。サッカーの面でも、インドは組織というよりは“個々”で進めるという部分があります。一方で、日本は組織優先。チームが一番にあり、自分はその中の一人という感じで、全て真逆のように感じました。

Q地元でのプロサッカー選手生活ということで、これまでと違う気持ちもあったのではないでしょうか?

遊佐さん)生まれ育った街にJリーグチームがあり、このチームでプレーできるということは、皆が叶えられるものではないので、本当にかけがえのない二年間になりました。

Q周りからはどんな声を掛けていただきましたか?

遊佐さん)入団した時、1年経過した時、2年目始まった時と別なのですが、期待していただいた方からは「頑張れよ!」という声がありました。ずっと試合に出られていなかったので、そういう中でも「試合に出ること待っているよ!」と言っていただいた時は、“それを裏切ることが出来ない”という強い気持ちになりました。

Q大変だった時期もありました。どうやって乗り越えようとされましたか。

遊佐さん)結果に結び付けるために、生活の中でルーティーン化している事を時々変化させたり、継続させたり。“自分がやる”と決めた事は、自分を信じてやり続けていました。

Q遊佐さんなりのルーティーンというものは、どんな事だったのでしょうか。

遊佐さん)決して難しいことではなく、早寝早起きするとか、練習前の準備をしっかりしてケガしないようにしっかりするとか。そして、その準備はどこに繋がっていくのかということをよく考えて、120%の力を発揮出来るように心掛けていました。
また、変化を付けたことは、子供と一緒に寝て一緒に起きることです。早寝早起きの時間が更に早まりました。

Q早起きしてどんなことをされていたんですか?

遊佐さん)早起きをして、“その時の自分の声を聴く”じゃないですけど、早起きすると一人で、周りは誰も起きていない。散歩をしながら空気を吸い歩くと、自分の中から出てくるものと向き合えます。あとは、トイレ掃除やお風呂掃除など “自分の心を整えられること”を行っていました。
自分の行動が“自分の人生”に繋がっていくので、周りをみて行動するというよりは、自分と向き合うということが一番大切だと感じています。

Qトップチームを離れた後もその習慣は続いていますか?

遊佐さん)今は、もう少し早く起きていますね(笑)4時とか、やることがあると3時半とかに起きることもあります。高校の講義などが入ると、自分の中で満足できる準備をしたいので、そのために力を注いでいます。また、子供と向き合う時間にも充てています。

遊佐さんは常に自分と向き合い続けたからこそ、長年プロの世界で活躍されたのだと感じました。次回は、遊佐さんの進路や次の世代へ向けての想いを伺います。

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