今回は、南相馬市のマーチングバンドにスポットを当てて映画を制作された、
映画監督の 中村和彦さんにお話を伺いました。
中村監督は、南相馬市のマーチングバンド「Seeds+(シーズプラス)」のドキュメンタリー作品を撮影されました。
「Seeds+(シーズプラス)」は、震災前、原町第一小学校マーチングバンドとして、全国大会の常連校でしたが、震災後、避難するメンバーも多く活動できなくなってしまいました。
それから数年後、Seeds+が活動を再開したということから、中村監督は、その様子をドキュメンタリー映画作品にされました。
映画には、Seeds+が2015年に愛媛県を訪れ、プロサッカーチーム・愛媛FCの試合の前座で演奏した感動的なシーンが写されています。映画を撮影された中村監督のインタビューです。
Q中村監督は、ドキュメンタリー映画を専門にされているのでしょうか?
昔はフィクションの映画を撮影していましたが、今はドキュメンタリー映画のみですね。
元々サッカーが好きで、サッカー日本代表のDVDの仕事(W杯予選やアジアカップなど)をするようになり、その中で障がい者サッカーにも日本代表があることを知り、障がい者サッカーの日本代表のドキュメンタリー映画を作るようになりました。サッカーから日本代表に入ってきた流れです。
Q中村監督と福島の繋がりは?
それもサッカーの繋がりがきっかけで、南相馬市に「Seez+(シーズプラス)」というマーチングバンドがあって、2015と2014年に、そのマーチングバンドが愛媛FCに招かれて、試合前に演奏するということがありました。
“その話を映画にしてくれないか”と、サッカー繋がりで交友がある“ツンさん”という方に頼まれたのが映画を作ったきっかけとなりました。
Q映画のタイトルは?
タイトルは「MARCH」。マーチングバンドのマーチ、3月11日の「MUCH(3月)」、また、「前に進む」という意味も込められています。
Q南相馬市のマーチングバンド「SEEDS+」の皆さんは、震災で大変な思いをされていましたね。
東日本大震災や原発事故の影響で、県外に避難したメンバーもいて、遠くは福岡まで避難した人もいました。色んな子供たちがいましたが、段々と気が進むにつれて集まって、過去の映像をもらったりしてまとめました。
Q監督は福島に通われたんですか?
10回ぐらい通って撮影しました。2015年当時ですから、富岡や浪江だったり、そのまま残されているような場所もあって、その時点で5年以上経っているけど、全然手つかずのような風景が残っていました。最初は結構驚いて、きちんと撮影しなくてはいけないという想いを新たにしました。
最初はもっと短い期間で作ることができると思っていたのですが、思いを聴いたり風景に接したりすることで、きちんと向き合って撮影しなくてはいけないという気持ちになりました。
Q映画の最後のシーンで、震災の爪痕の様子や復興へ向かう前向きな街並みなど両極端な映像が写されていましたが、どんな想いを込められたのですか?
映画の最初の部分では、街の爪痕が大きかった場所の様子を写して、後半はサーフィンや相馬野馬追が再開されている映像を並べました。現実に起きたことも描きつつ、その後の復興している様子も描きました。
SEEDS+が愛媛FCとセレッソ大阪の試合の前座で「RPG」(セカイノオワリの曲)を演奏している様子も撮影しました。その時に、サポーターからはチーム名のコールがあるはずだったのですが、その時は、SEEDS+へ向けてサポーターから“南相馬コール”が沸き起こりました。
感動的なシーンもありましたね。観ていて温かい気持ちになりました。
(次回へ続く…)