12月3日(月)放送分

スタジオに岩手県北上市の復元納棺師・笹原留依子さんをお迎えします。

笹原留依子さんは、震災後岩手県沿岸部で遺体を復元したボランティアを続けた復元納棺師です。 その数は、300体を超えています。 笹原さんは、岩手県北上市で納棺業を営んでいます。 遺体を清めてひつぎに納めるのが主な仕事で、事故や災害で傷ついた遺体を、写真を基に復元することもあります。 震災後、支援物資を満載した自家用車で陸前高田市に入った笹原さんは、遺体安置所で3歳の少女の遺体を目にしました。 髪の毛には藻が巻きつき、砂だらけの顔は黒く変色していました。 その時笹原さんは、「自分なら可愛い顔に戻せるのに・・・・」と思いましたが、遺族の許可がなければ触れることもできません。笹原さんは悔し涙を流しました。 その後笹原さんは、遺体の復元に全力をあげました。遺体の中には、生後10日の赤ちゃんもいました。その隣には母親の棺もありました。 赤ちゃんの顔は原形を留めず、一筋の出血の跡が鼻であることを想像させました。 笹原さんは、赤ちゃんの口を探し、そこから脱脂綿を詰めて頭の形を整え、まるで寝ているような穏やかな顔に修復しました。 赤ちゃんと対面したお父さんは、はじめて、赤ちゃんの名前を呼んで泣きました。 部分的に白骨化した女性もいました。顔だけでなく、手も復元しました。 遺族は、生前に用意していた結婚指輪をはめてあげました。 笹原さんは今、遺族の心のケアのため、医師と連携し毎月「お医者さんのお茶っこクラブ」を開催しています。 言葉ではなくは魂で復元ボランティアを行ってきた笹原さんの活動は、遺族が本当に求めていた支援だと確信しています。

この日は朝から、笹原留依子さんと被災地(いわき市沿岸部・広野町・楢葉町)を、いわき市在住のフォトジャーナリスト・高橋智裕さんの案内で回ります。 写真は、笹原留依子さんの著書と、今年4月17日、南相馬市北海老地区の高台の墓碑に手を合わせる笹原留依子さん。


11月26日(月)放送分

テーマは「ふくしまのたからもの」。

「きずな」をテーマにした作文・エッセイの表彰式が今月17日(土曜日)二本松市で行われました。 その内の4作品を、大和田新アナウンサーが朗読しました。 どれも感動的な作品で、震災から多くの人達に支えながら生きてきた「感謝」の気持ちにあふれていました。 3000通にも及ぶ作文・エッセイの応募作品の中で、堂々の最優秀賞に輝いたのは、南相馬市立原町第二小学校2年生の大槻虎聖(おおつきとらきよ)くんの「ふくしまのたからもの」でした。 虎聖くんは震災後、南相馬市から福島市に避難してきました。 そこでの不安と、友達への感謝の気持ちを素直に表現していました。 何回読んでも、涙があふれました。 以下、全文を紹介しました。

「最優秀賞」
ふくしまのたからもの

僕は、3月11日の震災で、福島市に避難してきました。そして、福島市の野田小学校に入学しました。 本当は、仲良しのレオくんと、はるくんと一緒に、原町第二小学校に行くはずでした。でも、みんなバラバラになってしまいました。 入学式の日、僕は、とても不安で泣いてしまいました。お父さんとお母さんはいたけど、友達が一人もいなくて、さみしくなりました。 担任の先生が、「大丈夫、大丈夫」と言ってくれました。嬉かったです。 次の日の朝も、僕は不安でした。校門まで、お母さんが送ってくれました。涙が出そうだったけど、お母さんに、「とら、行くしかないよ。この学校に行くしかないんだから」と言われたので、気合いを入れて行きました。 ドキドキしながら、教室に入りました。前の席の友達が話しかけてくれました。 気がついたら、友達がいっぱいできました。毎日、学校に行くのが楽しかったです。 となりのクラスの先生達も、「とらちゃん、とらちゃん」と言って、話しかけてくれました。 みんな優しくて、面白くて、僕は、野田小学校に入って良かったなと思いました。 体育館で友達と、鬼ごっこをしたり、どっちボールをしたことが一番の思いでです。大好きな友達がいたから、家族がバラバラになっても、福島で楽しく元気もりもりでいれたのかなと思います。 原町に帰ることになって、先生がお別れ会をやってくれました。また、僕は泣きました。友達も泣いていました。ありがとうって思いました。さよならするのはさみしいけど、みんなが手紙をくれて、とても嬉しかったです。 僕の大事なたからものです。(大槻虎聖)

虎聖くんのたからものは友達からの手紙でした。福島県のたからものは、虎聖くんだと思いました。 番組では、最優秀賞・優秀賞の合わせて4作品を朗読しました。

また、スタジオには、震災以来、自宅前の国道に出て、自衛隊や警察の復興支援車輌に手書きのメッセージボードを掲げ、感謝の気持ちを 伝え続ける、福島市飯野町のあみさん・諒くんを迎えます。 福島市のあみちゃん(中1)、諒くん(小5)の姉弟は、震災以来今も、警察車輌に「ありがとう、ご苦労様!」の手書きのメッセージボードを掲げて、自宅前の国道に立って手を振る。 「感謝の気持ちを伝えたい」 あみちゃん、諒くんが自宅前の国道わきに立って、感謝の気持ちを伝えるようになったのは、昨年4月6日。福島の支援に来てくれる自衛隊や警察の皆さんは、自宅に自分達と同じ子どもたちや、大切な家族を残して、命がけで頑張ってくれている。だから「ありがとうございます」と言いたいんです、話してくれた。 メッセージボードを掲げ手を振るあみちゃん、諒くんの姿に、自衛隊、警察の人達は、故郷の我が子を思って、胸が熱くなる。 あみちゃん、諒くんありがとう。 二人の笑顔が、福島の未来そのものです。


11月19日(月)放送分

テーマは「福島からの提言」。

★前半の提言は、「仮設住宅」。
「誰もが生活しやすい環境」を目指して、福島県で活動している「NPO法人ユニバーサルデザイン・結(ゆい)」の代表理事・富樫美保さんをお迎えし、「北国における応急仮設住宅を考える!」と題してお送りします。 富樫美保さんが取り組んでいる「震災とユニバーサルデザイン」について具体的な取り組み事例を交えてお話を伺います。 また、実際に仮設住宅で生活している皆さんにもスタジオにお出で頂き、仮設住宅の問題点を指摘してもらいます。

★後半は、「鎌田實~命の授業」
11月13日(火曜)にプレハブ仮設校舎の小高中学校で、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生の「命を考える」と題した授業が行われました。 鎌田實先生の授業を受けたのは、小高中学校の1年生30人。 鎌田先生は、震災直後から相双地区の医療支援に入り、住民の心のケアにつとめてきました。 また、WBC(ホールボディーカウンター)をいち早く導入させ、県内の子供達の内部被曝調査を積極的に進めてきました。


★鎌田實先生の著書(絵本)「雪とパイナップル」(中学生1年生の国語の教科書に掲載中)を読んで感動した小高中1年生の要望で今回の「命の授業」が実現した。
「雪とパイナップル」は、チェルノブイリ原発事故で「黒い雨」を浴びて、白血病で亡くなった少年をめぐる物語です。 少年の為に、氷点下20度の凍った町に出て、パイナップルの缶詰を探す若い看護婦さんの話に心が熱くなります。 鎌田實先生はこの本の中で、命の大切さ、感謝の心、幸せとは何かを問いかけています。

★鎌田先生は授業終了後、子供達の質問に丁寧に答えていました。
放射線や食べ物について、素朴な質問がたくさん出ました。 一人の生徒が鎌田先生に聞きました。 「小高には、いつ帰れるんですか?」 鎌田先生は始めて言葉につまりました。 「小高にいつ帰れるんですか?」 この質問にきちんと答えられる大人はいるのでしょうか。


11月12日(月)放送分

テーマは「挑戦」。

「挑戦①」

★相馬市の立谷秀清市長の後援会の総会を取材しました。 震災から間もなく1年8ヶ月、立谷市長はこれからの相馬市の復興ビジョン(住宅や防災倉庫)を、集まった支持者800人に、スライドを使って丁寧に説明しました。


そして相馬の復興には人材育成が最優先課題だと話し、教育・医療の充実をはかる事を約束しました。 今年3月、立谷市長に会ったコピーライターの糸井重里さんが言いました。 「立谷市長はまさしく昭和のオヤジです。『俺について来い、責任は俺が取る』。国も東電も責任を取らないから、国民は信用しないのです。立谷市長は貴重な昭和のオヤジですね」と。 立谷市長の復興ビジョンの説明の後、東大医科研教授の上昌広先生の放射線に関する講演がありました。 上先生は、ホールボディーカウンターによるデータなどから内部被ばくの現状を説明、流通している物を食べていれば、全く問題ない事や、原発事故からくる無理な避難が生むストレスが、いかに健康被害を与えているかなどを分かりやすく解説しました。 そして最後に、甲状腺がん発生時に国が医療費を負担するための議員立法を求める要請書が、自民党の三原じゅん子参議院議員に立谷市長から手渡されました。 この議員立法を求める要請書を提案したのは、東大教授の早野龍五先生です。


早野先生の提案に基づき立谷市長がとりまとめ、福島県市長会を通じて復興庁に要請しました。 その全文をここに掲載します。

★『東京電力福島第一原子力発電所の事故により、多くの福島県民が健康に不安を抱えている現状にある中、健康影響調査の一環として、現在、18歳以下の子供を対象に超音波による甲状腺検査が実施されています。 また、福島県においては、今年10月より18歳以下の医療費自己負担が無料化されている。 しかしながら、これまでのチェルノブイリ原子力発電所事故等のデータから、被曝から数年~数十年後に発生すると考えられている甲状腺がんが18歳を超えて発症した場合の対応については明確にされていない。 よって、甲状腺検査の対象者である平成23年3月11日時点で18歳以下の県民が18歳を超えて甲状腺がんを発症した場合においても、原子力発電所事故との因果関係を問うことなく、全て国が治療費を負担するよう強く要請する』 要請書を受け取った三原じゅん子参議院議員は、「当然の要望であり、議員立法実現に向け全力で対応します」と述べました。 政治生命をかけて取り組んでもらいたいものです。 それにしても三原じゅん子さんは綺麗でした! 番組では、東京大学大学院理学系研究科教授の早野龍五先生に、甲状腺ガン治療費無料化の考え方を伺います。

「挑戦②」

全盲のマラソンランナーの挑戦! 全盲のマラソンランナー、福島市の鍼灸師、星純平さんからの嬉しいメールが届きました。 11月4日(日曜)に開催されたマラソンの結果です。純平さんは、フルマラソンを三時間以内で走る、サブスリーを目指しています。

〓〓〓 視覚障がい者ランナーの星純平です。 日頃は、ラジオ福島をお聞きの多くの皆様から応援をいただきまして、誠にありがとうございます。 視覚障害者となり閉鎖的な日々を送る中、多くの方々のご支援を頂く事で、マラソンと言う世界を体感しています。 ただの一人の市民視覚障害者ランナーと思って走ってきましたが、ラジオ福島の大和田さんとの出会いで、ラジオ番組にて熱意を持って取り上げて頂きました。 その影響によって多くの方々から応援をしてもらう事になりまして、心から感謝しています。 その反面、戸惑いもありますが、光を失い、気持ちを閉ざす日常から少し 解放されたような喜びを実感する今日この頃です。 自分自身の運命と戦う一つの形として今、マラソンと向き合っていきたいと思っています。 今後とも、温かいご声を宜しくお願い致します。 昨日(11月4日)は、茂庭っ湖マラソン(福島市飯坂)に参加してきまし た。4度目のフルマラソンです。 伴走をしてくださったのは藤田 欣也(39)さんです。 陸上自衛隊郡山駐屯地に勤務され震災時は不眠不休で任務にあたってくださったそうです。 陸上は社会人になってから始めて、フルマラソン(42.195キロメートル)2時間39分の記録をお持ちです。 藤田さんは、7年前に仙台ハーフで高橋勇市選手(アテネパラリンピック視覚障碍者マラソン 金メダリスト)の伴走の経験もある、とても頼もしい伴走者です。 大会案内に書かれていた、「※ご注意 コース上に猿の糞がある場合がございますのでご注意ください」の一文が頭から離れず、糞に滑る自分の姿が何度も思い浮かんでリラックスしたスタートができました。(笑) 3時間15分以内が目標タイムです!! ベテランランナーも非常にタフなコースと言うほど長く傾斜の厳しい上りと下りの足にくるコースでした。排雪溝のグレイチングの溝が大きく何度も躓きかけ、ガイドする藤田さんも神経を使ったそうです。 終止、風の強いレースで何度もくじけそうになりましたが、藤田さんの丁寧なガイドと熱い励まし、参加ランナーの方々や沿道からの盛宴に助けられ完走できました。 完走タイム:3時間08分06秒 本大会も、伴走をして下さいました藤田さんをはじめ、多くの方々のご支援により、走らせていただきました事、心より感謝申し上げます。 引き続きのご支援ご声援をよろしくお願いいたします。
星 純平

番組では星純平さんをスタジオに迎え、サブスリー挑戦への意気込みを聞きます。 写真は、この夏、合同合宿した、北京オリンピックマラソン代表の佐藤敦之選手とのツーショットです。



11月5日(月)放送分

「頑張れ浪江中学校第2弾『絵顔満開秋桜祭』」をお送りしました。

警戒区域の中にある浪江中学校は現在、二本松市東和針道にあります。 在校生は、1年生が7名、2年生が22名、3年生が20名の合わせて49名が、不自由な生活を乗り越えて頑張っており、 その浪江中学校では10月28日(日曜日)文化祭「秋桜祭」を開催しました。 針道に開校して2回目の文化祭、昨年以上に盛り上げようと、生徒会を中心に頑張ったときいています。 今年度は、全校生徒で取り組むビッグアート、全校合唱、よさこいをメインとし、発表や展示を行いました。 49人がひとつになって、文化祭の成功に向け、積極的に取り組んだそうです。 文化祭「秋桜祭」実行委員長の山田なつさん。 生徒会長の山本幸輝くんは先頭に立って秋桜祭を引っ張っていました。



そして、約束通り「みやぎびっきの会」の皆さんが駆け付け、文化祭を盛り上げてくれました。 小川もこさんの司会で始まった「びっきの会」のステージでは、復興支援ソングの「虹を架けよう」の福島バージョンを、浪江中の生徒と一緒に合唱し感動のフィナーレとなりました。 番組では、小柴大造さんと小川もこさんにのインタビューを織り交ぜながら、浪江中3年生に将来の夢を紹介しました。







10月29日(月)放送分

「さとうきび畑こんさあとin いわき」をお送りしました。

★「ざわわ、ざわわ、ざわわ」でお馴染みの反戦歌「さとうきび畑」を歌うソプラノ歌手、寺島夕紗子さんと豊間中の「軌跡のピアノ」のコンサートが、10月13日(土曜日)午後5時から、いわき市小名浜大原の「イタリアンレストランdon 3」で行われました。
ゲストシンガーのソプラノ歌手・寺島夕紗子さんの亡くなったお父様(寺島尚彦氏)が「さとうきび畑」を作詞・作曲しました。
沖縄本土復帰から40年の今年4月、寺島夕紗子さんは米軍が最初に上陸した激戦の地、沖縄県読谷村(よみたんそん)に「さとうきび畑」の歌碑を建立しました。
平和への願いを込めて。


寺島夕紗子さんに、いわき市薄磯の豊間中学校の軌跡のピアノの話をしたところ、「ぜひそのピアノで歌わせてほしい」との申し出があり、今回のコンサートが実現しました。 会場のレストランdon 3には、豊間中のピアノに縁のある52人が無料招待され、寺島夕紗子さんの澄んだ伸びやかな歌声と、調律師の遠藤洋さんが懸命に復活させた豊間中のピアノのコラボレーションを満喫していました。 また、寺島夕紗子さんのコンサートの前には、今年豊間中学校を卒業した5人の高校生と在校生、そしてかつて豊間中に在任していた2人の教諭の合わせて8人が、豊間中の校歌を歌いました。 奇跡のピアノで歌った寺島夕紗子さんは、「このピアノの生命力の強さに感動しました。ピアノを修理した調律師の遠藤洋さんに心から感謝するとともに、これからもこのピアノが多くのアーティストの演奏を通し、復興へのメロディーを奏でてくれる事を願っています」と語っていました。

★豊間中前生徒会長で、いわき光洋高校1年生の吉田碧葉さんは「久し振りにピアノに会えて嬉しかったです。また、仲間と先生と校歌が歌えて、ちょっぴり涙が出ました。ピアノを見て、辛かったあの頃を思い出しましましたが、仲間がみんな元気に頑張っているのを見て、私も頑張ろうと思いました」と語ってくれました。 碧葉さんの将来の夢は看護師になることです。
その理由を碧葉さんは、
「震災直後、傷ついた人を見て、医療行為の手伝いが出来なかった自分が情けなかったから」と話してくれました。 碧葉さんは震災から復活した母校のピアノに手を置いて、自らの夢の実現を誓っていました。 若者達がこの福島で、自らの夢の実現を果たせる故郷にしていかなければなりませんね。 今夜の「月曜Monday (もんだい)夜はこれから」は、この日のコンサートの模様をお送りしました。 ソプラノ歌手、寺島夕紗子さんの素晴らしい歌声をじっくりとお聴きいただきました。



10月22日(月)放送分

「頑張れ浪江中学校!」

警戒区域の中にある浪江中学校は現在、二本松市東和針道にあります。
在校生は、1年生が7名、2年生が22名、3年生が20名の合わせて49名が、不自由な生活を乗り越えて頑張っています。 その浪江中学校では10月28日(日曜日)文化祭「秋桜祭」を開催。 針道に開校して2回目の文化祭ですが、昨年以上に盛り上げようと、生徒会を中心に頑張っています。 今年度は、全校生徒で取り組むビッグアート、全校合唱、よさこいをメインとし、発表や展示があります。 震災前の浪江中学校では、クラスで取り組む合唱コンクールや、学年ごとの企画があったが、人数が少なくなった為、全校生徒で取り組むものが増えました。 49人がひとつになって、文化祭の成功に向け、積極的に取り組んでいます。

★スタジオには、浪江中学校生徒会長の 山本幸輝くん。 文化祭「秋桜祭」実行委員長の山田なつさん。 文化祭担当の坂本貴光先生の3人を迎えて、浪江中学校文化祭「秋桜祭」をPR するとともに、故郷への思い、将来の夢をお聞きしますした。

★そして、スペシャルゲストとして、「みやぎびっきの会」を代表して、シンガーソングライターの小柴大造さん、フリーアナウンサーでラジオパーソナリティーの小川もこさんの2人が駆けつ浪江中学校にエールを送りました。 「びっき」とは、東北地方の方言てカエルのこと。 ふるさとに「帰る」修理して元に「返る」の意味と、地元のオタマジャクシ達を育てようとの思いがある。 「みやぎびっきの会」では、復興支援ソングの「虹を架けよう」の福島バージョンを制作し、「秋桜祭」で披露することになっています。 小柴大造さんと小川もこさんには、浪江中学校への支援の経緯や、それを支える思いを伺います。 また、震災以来、宮城県で最も歌われた復興ソング「虹を架けよう」を小柴大造さんと小川もこさんに歌ってもらえればと思います。

10月15日(月)放送分

「僕たちの夢」をテーマにお届けしました。

郡山市立桜小学校の子供達から、大きな色紙に書かれた「僕たちの夢」が届きました。 10月5日(金曜)、大阪を中心に活躍する人気女流書家・川瀬碧水(みゆき)さんら6人が、郡山市立桜小学校を訪れ「書道の出前授業」を行いました。 ここでは先ず、「光」という文字に託された、大阪市立堀江小学校の子供達から桜小学校の子供達へ寄せられた「一緒に頑張ろう」のメッセージが手渡されました。 次に、川瀬碧水さんが見事な筆さばきで「絆」という一文字を書くと桜小学校の子供達から大きな喚声が上がりました。 そして「絆」の文字の周りには、桜小学校の生徒から堀江小学校の生徒へ感謝の言葉が添えられました。 この寄せ書きは今月中に、大阪市立堀江小学校に届けられます。 出前授業の最後には、川瀬さんが「夢」と書いた大きな色紙の周りに、桜小学校の子供達が自分の「将来の夢」を書き添えました。 「夢」の色紙には、子供達の素直な未来が描かれていました。 『医者になりたい。AKB に入りたい。看護師になる。パティシエになって美味しいお菓子を作り、みんなを笑顔にしたい。 モダンな家を作る大工さんになりたい。警察官になる。プロ野球の選手になる。動物を助ける獣医になりたい。学校の先生になりたい』 子供達の夢はそれぞれですが、嬉しい事にみんな人の役にたちたいと思っているようです。 しかし残念ながら今回も「政治家になりたい」と思っている子供はいませんでした。 原発廃炉まで40年。気の遠くなるような歳月の先にある福島県の復興・復旧を担うのは子供達です。 その子供達が、自らの夢を安心して実現できる福島県に早く戻してあげたいものです。 番組では、桜小学校の「書道出前授業」に参加した川瀬碧水さんを中心にスタッフの皆さんにお話を伺いしました。

関西大学大学院生の藤澤和久さんからメールが届きました。 書家の川瀬碧水さんと一緒に、郡山市立桜小学校の「書道の出前授業」に参加した感想です。 この日は出前授業の他に、大阪市立堀江小学校から送らた応援メッセージが、桜小学校の児童に手渡されました。 そしてそのお礼に、今度は桜小学校から堀江小学校に「ありがとう!頑張ってます」のメッセージが製作されました。
大和田さん、先日はお世話になりました。 また、早速のメール、ありがとうございます。 桜小学校から堀江小学校へのメッセージに、『七転び八起き』と書いた男の子がいました。 「震災で一度は転んだけど、今は起きて頑張っているよ!って伝えたいんだ」と話してくれました。 また、『思い出より輝いている明日を信じる』と書いた女の子も居ました。 AKB48の歌詞から引用したそうですが、「そうだったら嬉しいし、大阪の小学校のみんなにも伝えたい。できたら、卒業の時に、一緒に歌えたら良いな」って、話してくれました。 郡山の桜小学校と、大阪の堀江小学校。見ず知らずの小学生同士ですが、 お互いを思いやる心が繋がっているように感じてとても嬉しくなりました。 2つの学校を繋いでくれて、本当にありがとうございました。 今後とも、よろしくお願いします。
藤澤 和久

10月9日(火曜)秋季高校野球東北大会決勝戦が福島市のあづま球場で行われました。 この試合、我が聖光学院高校は、仙台育英高校に8対4で敗れ、準優勝に終わりました。 試合後、斎藤智也監督は「春選抜出場など考えもしなかったこのチームが、決勝の舞台に立った事が素晴らしい。選手がここまでやってくれたことに感謝します。選手を讃えてやって下さい」と話してくれました。 来年春の選抜出場をほぼ確実にした聖光学院高校野球部。 これからの目標について斎藤監督は「弱さを自覚してから強くなろうと努力してきたチーム。だから、冬のトレーニングをしっかり積んで、来るべき日に備えたい」と豊富を語ってくれました。 試合直後の斎藤智也監督のインタビューをお聴き頂きました。


聖光学院高校野球部の斎藤智也監督の次は、聖光学院高校野球部出身の高橋智裕(ともひろ)さんのインタビューをお聴き下さい。 いわき市在住のフォトジャーナリスト高橋智裕さんは、3・11小名浜港 を取材中津波に襲われ九死に一生を得ました。 故郷いわきを始め、東北各地の被災地を回り、写真を撮り続けてきました。 震災を忘れないために。 その高橋智裕さんが10月6日、2冊目の写真集「東日本大震災」を 発行しました。 福島県の復興・復旧を担う子供達の笑顔に救われます。 高橋智裕さんには、ファインダーを通して見える人々の心の復興をお話ししてもらいました。

書道出前授業を桜小学校で行った川瀬碧水さんとスタッフです。


フォトジャーナリスト・高橋智裕さんから頂いた忘れられないメールがあります。 このメールは、高橋智裕さんの2冊目の写真集「東日本大震災」の巻頭にも一部が掲載されています。 今年の3月12日に送られてきたものです。
大和田さん、昨日はありがとうございました。 プーさんの縫いぐる、涙出ました。 瓦礫が散乱して、ご遺体があったあの頃を思い出しました。 昨日3月11日、薄磯に行ったら喪服を着た若い女性が基礎の中に座っていました。 始めは、花や線香を供えているのかと思いました。 しかし、その手にはなんといっぱいのゴミ。 コートの裾には雑草の枯葉が付着していました。 お話しを伺いますと、ここは私の家族が亡くなった場所。 そこにイベントに参加した人たちや、被災地を見学に来た人達が平気でゴミを捨てていく。 彼女は「口ばかりの絆とか復興とか支援とかが、悔しくて悔しくて・・・ 私達、もう行政に意見を言う気力もなくなりました」 「被災地でない人たち主導で復興しているなどという発言、私には理解出来ません」 そう、涙を流しながら話してくれました。 その後も彼女は、震災から1年の押し付け的な復興イベントで賑わう薄磯地区の自宅付近を、一人でゴミを拾い続けていました。 今日その土地を見たら、ゴミが綺麗になくなっていました。 こんな思いで3月11日を迎えた被災者がたくさんいるという事を忘れないようにしなくてはなりませんね。
高橋智裕


10月8日(月)放送分

スタジオに福島県骨髄バンク推進連絡協議会の志賀としえさんを迎えてお送りしました。

テーマは「命の尊さを考える」

志賀としえさんは、宮城県気仙沼市出身。 東日本大震災による津波で、両親と義理の姉の家族3人を亡くしました。 気仙沼の兄は両親の漁業を継ぐため仕事を辞めました。 志賀としえさんは22歳の時 、急性骨髄性白血病を発症、その2年後 骨髄移植を受けました。 拒否反応に3年以上苦しみ、 今は同じ病気で骨髄移植を受けたパートナーと結婚し、里子(男の子)を育てています。 また、震災での経験を通して感じた家族の大切や、骨髄バンクの必要性、命の尊さなどを講演会で積極的に訴える活動をしています。 骨髄バンクや骨髄移植の必要性を志賀としえさんは「どんな名医でも白血病は医者だけでは救えない。 しかしたった一人の人間が誰かの命を救えることがある。それが骨髄移植。その為に骨髄バンクの充実が不可欠」と話します。 また、番組では、骨髄バンク全国協議会会長の大谷貴子さん。 会津美里町の車椅子のエッセイスト・大石邦子さんにも電話でお話を伺いました。

10月1日(月)放送分

感動的な「3つのblog」を紹介しました。

1つ目は、相馬市の立谷秀清市長のメールマガジンから「君の未来に万歳」。 相馬市では津波で10人の地元消防団員が亡くなりました。 その一人、(故)稲山正弘さんの葬儀の模様を通して、地元住民の命を守ろうとして亡くなった消防団員への感謝と鎮魂の思いが感動的に綴られています。 番組では、立谷秀清相馬市長のメルマガを紹介しながら、震災から1年6ヶ月過ぎた相馬市の現状と、震災の記憶を後世に残そうと相馬市が建設する「防災倉庫」への思いを市長に聞きました。


2つ目のblogは、南相馬市原町区の原町中央産婦人科医院理事長の高橋亨平先生の「私の体の現状と医師募集のお願い」。 これは9月3日(月)に放送したもので、あらためて高橋亨平先生の魂のblogの紹介と、先生へのインタビューをお聴き頂きました。 高橋先生は今、末期癌と闘っています。それでも地域住民を守る為に、毎日診療を行っています。 命を削りながら診療に当たっている高橋先生の最後のお願いをお聴き頂きました。

3つ目は、特殊な癌と闘っているテノール歌手・本田武久さんのblogでした。 本田武久さん(41)は秋田県出身。山形大学音楽科を卒業後、故郷秋田に戻り、高校の音楽教師になりましたが夢を諦めきれず、3度の挑戦を経て29歳で東京藝術大学声楽科に進み、33歳でプロのテノール歌手になりました。 順風満帆に見えた歌手生活でしたが、本田さんを「胞巣状軟部肉腫」という原因も治療法も不明な癌が襲いました。 昨年3月には片足を切断、癌は今肺、脳、舌、肩などにも転移、現在は緩和ケア病棟に入り、痛みのコントロールを行っています。 震災直後から本田武久さんは、福島県内各地を回り、多くの人達に歌を通して元気や勇気を与えてくれました。 また、コンサート会場で集めた募金を、ラジオ福島主催の「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」に寄付してくださるなど、福島県の福祉向上にも積極的に取り組んでくれました。 この日は本田武久さんのblog「Takehisa Honda Diary」を紹介しながら、本田さんのCD アルバムから代表曲をお聴き頂きました。


今週の特別インタビューは、秋の高校野球福島県大会で優勝した、聖光学院高校野球部の斎藤智也監督に、10月5日から福島市で開催される、秋季高校野球東北大会への意気込みを伺います。 ぜひ、お聴き下さい。



9月24日(月)放送分

ゲストに福島山口は常円寺の住職・つるりん和尚こと、阿部光裕さんと、東京大学医科学研究所特任教授の上昌広さんのお二人を迎え、これからの福島県の復興・復旧に欠かせない除染・医療・教育などについてお話を伺いました。

阿部光裕住職は、いち早く除染に取り組み、自らの山の敷地を仮置き場として市に提供し、地域住民に安心を与えています。上昌広先生は、震災後いち早く南相馬市・相馬の医療支援に入り、ホールボディカウンターの導入など、地域住民の心と体のケアに当たっています。またこの日は、ホールボディカウンターで住民の内部被曝検査に当たってきた、東京大学医科学研究所の坪倉正治先生や、相馬高校に教育支援に入っている予備校カリスマ講師の藤井健志先生にも電話でお話を伺いました。藤井先生は、東大剣道部出身で、上先生の後輩にあたります。


福島市山口の曹洞宗・常円寺。 夏のある日、鶴林和尚(つるりんおしょう)として地域の方々に親しまれている阿部光裕住職が、広島平和公園の被爆アオギリ三世の苗木を境内に植えました。 このアオギリは、昨年7月12日に亡くなったアオギリの語り部、沼田鈴子さん(87)が大切に守ってきたアオギリです。 沼田鈴子さんは広島で被爆しました。終戦後、広島平和公園の被爆アオギリの下で、原爆の恐ろしさと平和の大切さを訴え続けてきました。 そのアオギリが、常円寺の阿部住職の元に送られてきたのは、7月の中頃でした。 アオギリを贈ったのは、島根県出雲市の仏師、川島康文さん(52)。 川島さんはアオギリに相応しい場所を探していたところ、阿部住職と旧知の住職から常円寺を紹介されました。 川島さんは、「アオギリの語り部・沼田鈴子さんの平和への思いが、木とともに生きて欲しい」と、阿部住職に思いをつなぎました。 広島に原爆が投下され67年目の今日、阿部住職は心を込めてアオギリ三世を、本堂の前に植えました。



9月17日(月)放送分

3つの特集をお届けしました。
特集①「がんばれ浜風商店街」
特集②「全盲のマラソンランナー、福島市の星純平さんと佐藤敦之選手の合宿」
特集③「若者に聞く!福島のこと」

最初の特集は「がんばれ浜風商店街」
9月3日、いわき市久之浜の「浜風商店街」がオープンから一周年を迎えました。 久之浜地区は、地震、津波、火災、原発事故、風評被害と五つ災害と闘っています。 63人が亡くなり、今も10人が行方不明となっています。 東京電力福島第一原子力発電所から30キロの距離にあり、昨年4月22までは屋内退避の指示が出ていました。 ほとんどの住民が故郷を離れました。 このままでは久之浜が無くなってしまう! 地元商店主が立ち上がりました。 昨年9月3日、「中小企業基盤整備機構」やいわき市などの支援を受け、久之浜第一小学校の校庭に「浜風商店街」が誕生しました。 コンセプトは、「海からの風を引き込み、海と共に生きる」。 商店街は140平方メートルの平屋のプレハブ2棟。津波や火災の被害にあった地元商店会の食堂、理容店、電器店、駄菓子屋、酒屋、鮮魚店、スーパー、住宅設計事務所、履物店、商工会の10店舗が軒を連ねました。 家賃の負担はありませんが、光熱費と内装は自己負担、そして期間は3年間です。 オープンから一年、「浜風商店街」は肩を寄せあい、協力しながら苦難を乗り越えてきました。 「久之浜のために!」を合言葉にして。 地域の人達は言います「浜風商店街に来ると元気になる」と。 物を売る商店街から元気を発信する「笑店街」へ。 校庭から聞こえる子供達の声に押され、浜風商店街は復興の拠点として、地域の絆を繋いでいます。
2つ目の特集です!
全盲のマラソンランナー、福島市の星純平さん(37)と佐藤敦之選手の合宿が9月8日(土曜)9日(日曜)の2日間、 裏磐梯桧原湖畔で行われました。 星純平さんは「サブ・スリー」を目指すアスリートです。 サブスリーは、マラソンの42・195キロを、3時間以内で走る事です。 アマチュアランナーにとってサブスリーは、越えたい高い壁です。 憧れです。しかし、星純平さんのような伴走者を必要とする視覚障害者には、かなり高いハードルです。 全盲のマラソンランナー星純平さんと、北京オリンピックマラソン代表の佐藤敦之選手は、12月に南相馬市で開催される「野馬追い里マラソン」に出場します。 このレースで、佐藤敦之選手が初めて視覚障害者ランナーの伴走を務めます。 裏磐梯で合宿中の佐藤敦之選手を、星純平さんが訪ね、走りの指導をして頂きました。 初日は、桧原湖一周・30キロを走りました。 アップダウンの激しいコースで、最後の1キロは星純平さんは朦朧としていたそうです。 日曜の朝は5時に起き、2時間のハードな練習に飛び出して行きました。 佐藤敦之選手の優しく、厳しい指導を受けて、星純平さんは感謝の涙を流していました。 二人を繋ぐ赤と青の犬の首輪を純平さんは「絆」と呼んでいます。 合宿中、私が最も感動したのは、敦之選手の奥様・美保さんのサポートです。 アテネオリンピック日本代表で女子800メートル日本記録保持者の美保さんは、競技を離れた今、夫佐藤敦之選手のサポートに全力を尽くしています。 その言葉には、4年後のリオデジャネイロオリンピックを見据えた決意が伺えました。 佐藤敦之選手と奥様の美保さんは、福島県の宝ですね。 それにしても「民宿ひばら」の夕食はボリュームまんてん。馬刺のタタキは、絶品でした。 満天の星を眺めながらの露天風呂も、風情があって最高でした。 月明かりに照らされた佐藤選手、純平さんの鍛え上げられた肉体は、ギリシャの彫刻のようでした。 勿論、私の肉体も遜色ありませんでした。 夕食の時、佐藤敦之選手の福島への熱い思いを伺いました。 中国電力を休職して、福島県の復興の力になりたいと戻って来たその思いは 中途半端なものでは無く、会社との約束の2年間の 先をも見据えたものでした。 福島県の復興・復旧を担う子供達を、陸上を通して励ましたい! 佐藤敦之選手の未来への思いに、全く迷いはありませんでした。 サブスリーを目指す星純平さん、故郷福島に戻り夫婦で世界を目指す佐藤敦之選手の夢が叶うよう、心から願ってやみません。

特集3つ目は「若者に聞く!福島のこと」
9月12日(水)、同志社大学メディア学科・浅野健一ゼミの皆さん16人がスタジオを訪れました。浅野教授・学生の皆さんにお話を伺いました。 将来はマスコミで働きたいと思っている学生さんが多く、問題意識の高さに頼もしさを感じました。 同志社大学の皆さんはこの日の午後、福島大学の鈴木典夫ゼミの学生さんと震災やボランティアについてシンポジウムを行い、コミュニケーションを深めました。 これからの日本を背負って立つ若者たちの積極的な交流に、未来への希望「絆」を感じました。



9月10日(月)放送分

毎日新聞元福島支局長・元科学環境部長で現在は「毎日新聞社・水と緑の地球環境本部長」の斗ヶ沢秀俊(とがさわひでとし)さんと、福島大学人間発達文化学類教授の佐藤理(おさむ)さんをスタジオにお迎えします。

斗ヶ沢秀俊さんには放射線の影響や福島の復興について、佐藤理さんにはコープ福島の除染の取り組み、食品と農家を守るためにはどうすべきなのかなどについてお話を伺います。 また、斗ヶ沢さんと佐藤さんと共に、この日は朝から南相馬市小高区を取材します。震災から1年6ヶ月、警戒区域解除から5ヶ月経った小高区のの様子をご覧頂ながら、復興への提言を頂きます。写真は、①上下水道の復旧を待たず、開店した加藤理容店のご夫婦です。また、②JR小高駅前の「菓詩工房わたなべ」の垂れ幕です。「必ず小高区で復興する」という強いメッセージが伝わってきます。③今年、野馬追いの「野馬懸」が行われた、小高神社の復興された本殿と④絵馬です。


9月3日(月)放送分

ゲストは「涼風」のおふたり。門馬よし彦さんと七宮史浩さんのおふたりによる心にしみる歌声をお聴きいただきました。


涼風の「願い」は、末期がんと闘っているテノール歌手・本田武久さんが、「一番好きな復興ソング」として、ブログにも取り上げてくれた。ユーストリームを通して、入院中の本田武久さんに「願い」を届けしました。








次に取材インタビューです。 大熊町から会津若松市に避難している住民15人が、毎週火曜日の朝9時から2時間、卓球を通して交流を深めています。平均年齢は66歳、皆、自宅が原発から3キロ圏内にあり、一様に大熊には戻れないと言います。 苦しい避難生活の中で、血圧、血糖値が上がり、糖尿病になった人。さらには、運動不足からの肥満や、過度のストレス。 週に一度、仲間に会うために集まるこの日が生き甲斐だという73歳の元運送会社の社長は、「大熊町に帰りたい。でも、除染も進まず、仮置き場さえ決まっていない状況で、帰れるはずがない。国や東電は、俺達が死ぬのを待っているのか!」と、憤っていました。>> また、63歳の専業主婦は、「孫守りを楽しみに生きてきました。しかし原発事故で家族はバラバラ、震災から鬱病になり、何度死のうと思ったか知れません。でも、仲間と卓球に救われました。大熊に帰れないなら、それなりの補償を国や東電に早くしてほしい」と、訴えていました。>> 大熊町の住民の苦しみはきっと、双葉町、浪江町富岡町などの住民と共通する苦しみだと思います。>> この苦しみを双葉8町村と飯舘村さらには小高区などの地域だけに負わせていいのでしょうか?大熊町から会津若松市に避難している皆さんにお話を伺いました。

大腸がんを患いながら、南相馬市で放射線と向き合い、診療を続ける原町中央産婦人科医院理事長の高橋亨平(たかはし・きょうへい)先生のブログを読んで涙が止まりませんでした。
タイトルは、「私の体の現状と医師募集のお願い」
高橋亨平先生は毎日、放射線治療を行っています。南相馬市から1時間20分かけて、県立医科大学放射線治療科へ通っています。「何の為に、こんな苦しみに耐える必要があるのか」と、ふと思う時があるそうです。 そんな時、高橋亨平先生は思います。「この地域に生まれてくる子供達は、賢く生きるならば絶対に安全であり、危険だと大騒ぎしている馬鹿者どもから守ってやらなければならない」と。原発事故後、分娩できる施設が無かった南相馬市も、南相馬市立総合病院の産婦人科などがこの4月から分娩を開始しました。高橋亨平先生は、自分の役割は終わったと思ったといいます。しかし、自分を頼って来てくれる患者さんを断ることはできません。 先生は自らの命を削りながら、毎日診療を続けています。使命感のもとに。 ブログの中で高橋先生は最後に、全国のdoctorに呼びかけました。「こんな診療所ですが、勤務していただける勇気あるdoctorを募集します。婦人科、内科、消化器科、循環器科、総合診療科、何科でも結構です」 。 「ガンと闘って、頑張ってきましたが、甘くは無いなと感じています。何時まで生きられるかわかりません」「覚悟は決めていても、苦しみが増すたびに、もし、後継者がいてくれればと願ってやみません。私の最後のお願いです。どうか宜しくお願いします」と。震災から一歩も逃げずに、南相馬市の医療を支え、住民の心のよりどころとなってきた高橋亨平先生の『命の叫び』が、どうか届きますようにと、願わずにはいられません。もう、時間がありません。先々週土曜日の朝、高橋亨平先生に電話でお話を伺う予定でしたが、未明に「お産」があり、インタビューできませんでした。番組が終わり、南相馬の病院にお邪魔し高橋先生に お話をうかがうことが出来ました。高橋先生の住民を守ろうという強い思いをお聴き頂けたと思います。

8月27日(月) 今回は福島のスタジオを飛び出し、南相馬市原町区萱浜(かいはま)の上野敬幸(たかゆき)さん39歳の自宅からお送りしました。

上野さんは、津波で両親と長女(8)・長男(3)の4人を亡くしました。お父様と長男は、まだ見つかっていません。壊滅的な被害を受けた萱浜にあって、奇跡的に上野さんの自宅建物の外観だけが残りました。震災後、その自宅は格好のカメラスポットになりました。津波に破壊された自宅玄関前には、家族の写真と焼香台が置かれています。写真に手を合わせ、線香を手向け、自宅の写真を撮る人達に、上野さんは何も言いませんでした。しかし、土足で家に入り込み、傍若無人に写真を撮る人達に対し、上野さんはしばしば怒りを爆発させました。「ここは観光地じゃない。被災地だ!」

★事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所から22キロのこの地に自衛隊が捜索に入ったのは、震災から1ヶ月以上が過ぎていました。 「誰も手伝ってくれない!」。 行方不明者の捜索は、上野さんら地元消防団員10人に委ねられました。 「排水ポンプがあれば、重機があれば、協力者がいれば、もっと早く家族を発見できたのに・・・」。 寒さの中、懸命の捜索活動が続きました。原発事故や放射線は全く気になりませんでした。 「家族に会いたい!」 その思いが、疲れた体を動かしていました。 地元消防団は、40人以上の遺体を収容しました。 皆、顔見知りでした。 上野さんは言います。 「原発事故がなかったら、救えた命があったかもしれない。 原発事故がなかったら、もっと早く家族に会えた人もいる。 原発事故は、人災です。当時の菅総理や東電社長は此処に来て謝るべきだ。それがないかぎり、私は政府も東電も許さないと」と。

★金魚アートの深堀隆介さんがこの程、上野さんの亡くなった8歳の娘さんと、3歳の息子さんの布製のズックに、金魚を描きました。 深堀さんの金魚アートは、透明なアクリルに描かれた金魚の絵が、何層にも透明樹脂を流し込むことで、立体感をもって生きているように迫ってきます。 上野さんと同い年の深堀さんは、亡くなった子供達と、自分の子供の存在が重なりあいました。 魂の金魚アートは、4ヶ月の歳月を費やし、完成しました。 娘さんの金魚の脇には、美しい桜が、息子さんの金魚の脇には、花火が描かれています。 どの様な意味があるのか、夜8時過ぎから、深堀隆介さんに電話でお話をを伺いますした。

★今年3月11日、深堀隆介さんは一編の詩を作りました。

「水底(みなそこ)の花」
あの日、水が全てを持って行ってしまった。
家も、人も、思いでも。
今も深い海の底で眠っている、尊い命よ。
聞こえますか、私達の声が。
呼んでいますか、私達の事を。
あなたたちの事は決して忘れない。
私達の心に永遠に咲き誇る、水底の花。

★番組では、深堀隆介さんが製作した、上野さんのお子さんのズックの中の金魚アートを、ユーストリームで公開しました。


8月20日(月) 今回は福島市の銀嶺食品工業社長・大橋雄二さん(55)を迎え、「我が友血友病」と題してお送りしました。

大橋雄二さんは2万人1人という難病「血友病」で、30年前に左足を切断するというハンデを負っています。血友病は血が止まりにくい病気で、関節に出血がおきると、想像を絶する痛みに襲われます。しかし、不屈の精神で病気を克服、現在は社長として、父として、夫として、毎日を懸命に生きています。震災直後大橋雄二さんは、採算を度外視し、地域の人達の為にパンを焼き続けました。それは、銀嶺食品工業を支えてくれたお客様への感謝の気持の表れでした。何もなかった昨年の3月、焼きたてのパンは、地域の人達をはじめ、介護施設の入居者の皆さんの身も心も温めてくれました。難病と戦う大橋雄二さんだからこそ、生きる為の基本となる食品へのこだわりは誰よりも強いものがありました。それはパン作りにも表れていました。パン作りには向かないと言われていた、国産小麦を使い、水、塩にも徹底的にこだわった命のパンを作り続ける大橋雄二さんを漫画家のやなせたかしさんは、「地ぱんマン」と名付けました。スタジオには、大橋雄二さんと息子さんの弘宜(ひろのぶ)さんの2人を迎え、難病を克服し逞しく生きる大橋雄二さんと、懸命に父を支える弘宜さんの人生観を伺いました。また、大橋雄二さんと親交が厚い、会津美里町の車椅子のエッセイスト・大石邦子さんにも電話で参加してもらい、大橋雄二さんと弘宜さんにエールを贈っていただきました。





8月13日(月) 今回は「医師・鎌田實先生と歌手のさだまさしさんによるトークショー」

8月1日(水曜日)に南相馬市鹿島区の仮設住宅の一角にある、「絆診療所」で行われた、医師・鎌田實先生と歌手のさだまさしさんによるトークショーをお聴き頂きました。チェルノブイリ連帯基金理事長で、長野県は諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生は、震災直後から南相馬市の医療支援に入りました。今は、前小高市民病院院長だった遠藤清次先生が5月1日にオープンさせた、「絆診療所」の応援団長として、細やかな支援を行っています。この日は、午後2時から、集まった230人の仮設住宅の住民を前に、鎌田實先生とさだまさしさんが、「暑さ対策や復興に向けて頑張りすぎないことの重要性」をユーモアを交えてお話してくれました。真夏の日が照りつける「絆診療所」は終始、笑いと拍手と歓声に包まれていました。また、隣の仮設住宅に住む、小高工業高校生徒会長・高野桜さん(3年生)にもお話を伺います。高野桜さんは、福島県で唯一、高校生平和大使に選ばれ、8月中にジュネーブで核兵器廃絶に向けて英語でスピーチをしていらっしゃいました。高野桜さんには、平和大使としての抱負と将来の夢をお話ししていただきました。番組後半の20時台は、震災直後から南相馬市、相馬市の医療支援を行っている、東京大学医科学研究所の坪倉正治先生に電話で出演していただました。南相馬市立総合病院が導入したホールボディーカウンターを使い、坪倉先生が中心になり市民の内部被曝を検査してきました。その結果分かったことが、たくさんありました。坪倉先生には、ホールボディーカウンターの検査を通して分かった内部被曝の現状と、これから私達県民が、この低放射線量被曝とどう向き合って生活していかなければならないのかをお話ししていただきました。


8月6日(月) 今回のテーマは「あ~夏休み」

7月21日(土曜)、22日(日曜)の両日、相馬市立山上小学校の子供達14名と保護者14名の合わせて28名が、岩手県北上市の納棺師・笹原留依子さんの招待で、北上市にサマースクールに出掛けました。同行取材したのは、ラジオ福島の佐々木瞳アナウンサーと、いわき市のフォトジャーナリスト・高橋智裕さんの二人です。高橋さんは取材中自らも津波に巻き込まれ、九死に一生を得ました。震災から1年が過ぎた頃から、高橋さんは、子供達の笑顔を撮り続けています。\(^o^)/番組では、山上小学校の子供達のサマースクールの模様を紹介しながら、サマースクールを企画した笹原留依子さんに、今被災地で必要な心のケアについてお話を伺いました。笹原留依子さん(39)と一緒に相馬市・南相馬市を取材したのは4月17日の事でした。笹原留依子さんは、震災後岩手県沿岸部で遺体を復元するボランティアを続けた復元納棺師です。その数は、300体を超えていました。笹原さんは、岩手県北上市で納棺業を営んでいます。遺体を清めてひつぎに納めるのが主な仕事で、事故や災害で傷ついた遺体を、写真を基に復元することもあります。震災後、支援物資を満載した自家用車で陸前高田市に入った笹原さんは、遺体安置所で3歳の少女の遺体を目にしました。髪の毛には藻が巻きつき、砂だらけの顔は黒く変色していました。その時笹原さんは、「自分なら可愛い顔に戻せるのに・・・・」と思いましたが、遺族の許可がなければ触れることもできません。笹原さんは悔し涙を流しました。その後笹原さんは、遺体の復元に全力をあげました。遺体の中には、生後10日の赤ちゃんもいました。その隣には母親の棺もありました。赤ちゃんの顔は原形を留めず、一筋の出血の跡が鼻であることを想像させました。笹原さんは、赤ちゃんの口を探し、そこから脱脂綿を詰めて頭の形を整え、まるで寝ているような穏やかな顔に修復しました。赤ちゃんと対面したお父さんは、はじめて、赤ちゃんの名前を呼んで泣きました。部分的に白骨化した女性もいました。顔だけでなく、手も復元しました。遺族は、生前に用意していた結婚指輪をはめてあげました。笹原さんは今、遺族の心のケアのため、医師と連携し毎月「お医者さんのお茶っこクラブ」を開催しています。言葉ではなくは魂で復元ボランティアを行ってきた笹原さんの活動は、遺族が本当に求めていた支援だと確信しています。8月7日(月曜日)夜7時から2時間の生放送「月曜Monday (もんだい)夜はこれから」。北上の自然に抱かれ、のびのびと遊ぶ子供達の元気な声をお聞きいただきました。


7月30日(月) テーマは「頑張ろう!小高!」

南相馬市鹿島区の仮設住宅の一画に「絆診療所」がオープンしたのが5月1日。遠藤清次院長ら7人のスタッフが、避難を強いられている小高区民のために、体と心のケアに当たっている。遠藤先生は廃院が決まった市立小高病院の院長として、地域の皆さんにとって大切な医療拠点を無くしていけないと訴え続けてきた。そんな遠藤院長の熱意を支えたのが、小高区の住民だった。地域の人達が「市民病院を守る会」を設立し、病院の敷地の美化運動から始めた。手入れされた病院の中庭には四季それぞれの花が咲き誇り、患者のみならず、多くの市民が花を見るために病院を訪れた。自然と遠藤先生の診療室の本棚には、花の図鑑が増えていった。そして、病院の存続が正式に決まった1週間後、東日本大震災が起きた。13,000人が避難した小高区〓小高病院も震災直後は、想像を絶する状況となりまさに戦場と化した。〓〓震災から1年2ヶ月、避難している小高の皆さんに恩返しをしたい。遠藤先生はお世話なっていた猪苗代の病院を辞め、小高区民が生活する南相馬市鹿島区の仮設住宅に「絆診療所」を開設した。期間は2年間。開設には2千万円を越える資金がかかった。費用は遠藤先生が全てまかなった。7月30日(月曜)夜7時からの「月曜Monday ( もんだい)夜はこれから」は、絆診療所から2時間の生放送を行う。出演は、遠藤清次院長をはじめ、絆診療所のスタッフの皆さん。絆診療所を支援にする、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生も電話で出演し、遠藤先生にエールを送りました。そして、内緒の話だが、8月1日(水曜日)の午後2時から「絆診療所」において鎌田實先生と歌手のさだまさしさんのトーク&ライブが行われました。勿論、入場無料。鎌田實先生からはどんどんPR して欲しいと言われているが、当日人が集まり過ぎたらどうするのか。私は知らない。また、隣の仮設住宅に住んでいる小高工業高校生徒会長の高野桜さんも出演する。高野桜さんは高校生平和大使に福島県でただ一人選ばれ、8月にスイスのジュネーブで核廃絶に向けてのスピーチを英語で行う。〓〓〓スタジオには、小高駅前の「菓子工房渡部」の社長、渡部幸史さんをお迎えする。「菓子工房渡部」の社長、渡部幸史さんは「小高の復興を考える市民の会」代表で、小高の復興を行政に任せるのではなく、住民の立場で地域の復活を考えて行こうと提案し、活動している熱血漢である。年商12億のこの店の前には、「この小高で必ず復活する!」と力強く黒板に書かれたメッセージがある。7月30日(月曜)の夜7時から2時間の生放送のテーマは「頑張ろう小高!\(^-^)/」。取り残されていく小高を絶対に忘れさせないために。原発事故で故郷を追われた小高の人達の話をぜひ聞いて欲しい。


7月23日(月) テーマは「へこたれません!!伊達市」

仁志田昇司伊達市長をスタジオに迎え、震災から1年4ヶ月が過ぎた伊達市の現状と、復興・復旧に向けての課題や対策をお話していただきました。さらにスタジオには、県立保原高校前生徒会長の伊藤蒼くん(3年)と「がれきに花を咲かせましょう」プロジェクト代表の鈴木大夢(ひろむ)くん(3年)の二人も出演し、仁志田市長に復興のへの思いをぶつけました。その他に、橘善雄さん(ガソリンスタンド経営)・松浦繁光さん(JC直前理事長)・斉藤光子さん(伊達市商工会女性部会長)・須田直樹さん(桃農家)にも出演していただき、伊達市の未来を熱く語ってもらいますした。


7月16日(月) テーマは「私の好きな音」

ゲストに、県点字図書館館長の中村雅彦さん、県盲人協会会長の阿曽幸夫さん、福島県立盲学校高等部3年(生徒会長)の佐藤一貴君、県立盲学校教頭の櫛田省吾さんをお迎えし、音についてお話を伺いました。放送翌日の7月17日(火)午後2時10分からは、相馬市刈敷田団地入り口交差点で「視覚障害者用音の出る信号機」の寄贈式を行いました。町に溢れる音。あなたの好きな音はどんな音ですか?番組では視覚障害者の皆さんに3.11から今日までの印象的な音についてお話を伺いながら、音の持つ力について考えました。


7月9日(月) テーマは「ふくしま 復興への提言 PartⅡ」

自民党衆議院議員・吉野正芳さんを迎え、進まぬ福島県の復興への提言を伺いました。吉野正芳さんは県内ただ一人の自民党衆議院議員。震災後は被災地をくまなく回り、住民の要望を聞きながら「原子力損害賠償仮払法」成立に向け、政府の足らざるを補ってきました。また電話で、甚野源次郎公明党県議、神山悦子共産党県議、柿沢未途みんなの党衆議院議員(東京選挙区)にも出演して頂き、それぞれの立場から福島県の現状と復興への提言をお話してもらいました。今政権は末期症状にありますが、自民党に期待する声は多くはありません。それは、40年にわたり原発を推進してきた自民党から、一度も反省の声が聞かれないからではないでしょうか。吉野正芳さんには持論を展開してもらうのではなく、前の見えない不安と闘う被災者の声を、真摯に受けとめてもらう2時間にしたいと考えました。2日の放送では、台湾からのメールも届きましたまた、東北道走行中聴いていた千葉のドライバーからは、「昨年12月16日の首相の原発事故収束宣言から、福島県は復興していると思っていたが、地元のラジオを聞いて、余りに温度差が大きいのに驚くと同時に、何も知らない自分が恥ずかしくなった」というメールも頂きました。多くのリスナーが番組に参加し、一緒に福島県の未来を考えて頂ければ幸いです。


7月2日(月) テーマは「ふくしま 復興への提言 PartⅠ」

震災から1年3ヶ月、今福島県民は先の見えない閉塞感に襲われています。しかし、その中でも懸命に復興に取り組んでいる人達が沢山います。民主党県連代表が内定し、これまで経済産業副大臣を務めるなど原発行政の中心にいた増子輝彦参議院議員と、県内各地で復興・復旧に取り組んでいる方々を電話でつなぎ(佐藤栄佐久前福島県知事、遠藤雄幸川内村長など)、福島県の今後を語ってもらいました。




6月25日(月) テーマは「復活」

相馬市立玉野小学校に、埼玉県の60代のご夫婦から寄贈されたピアノの「復活」の物語をご紹介しました。山間の相馬市玉野地区にある玉野小学校は、全校生徒が14人。共有している体育館をはさんで、渡り廊下でつながっている玉野中学校も全校生徒14人。その体育館に寄贈されたピアノを使い、相馬市出身のフルート奏者、芳賀文恵さんが音楽仲間3人と音楽会を開催しました。芳賀さんは相馬市の沿岸部・尾浜出身。家族は無事でしたが、家は津波で流されて跡形もありません。友人もたくさん亡くなりました。虚脱感から1年間は何もできなかったそうです。今は、自分のできること、音楽の力を信じて、被災地を回っています。音楽会終了後、寄贈されたピアノで、玉野小学校と玉野中学校の校歌を子供達が熱唱しました。ピアノが無かった体育館に校歌が流れたのは初めてでした。娘が使っていて、今は使わなくなった大切なピアノを被災地に届けたい!朝日新聞に私が書いた、豊間中のピアノの記事を読んだ埼玉県の奈良さんご夫妻から、被災地にピアノを寄贈したいという手紙をいただいたのが、全てのきっかけでした。 番組ではそれぞれの学校の校歌と、生徒一人一人の将来の夢を放送しますした。